特集 まるごと!なんぶ
「特集まるごと!なんぶ」では、南部広域圏内で繰り広げられる市町村共通の魅力あるイベントや伝統行事などをご紹介します。
2009年11月04日
沖縄の伝統芸能
沖縄の伝統芸能
伝統芸能とは古くからある芸術と技能である。大衆や特定階級の娯楽や儀式、祭事などによって行事化もしくは行動化したものであり、これが伝承され現在に至る。伝統芸能の裾野はとても広く、歌、舞踊、演劇はもとより漆器、織物などの工芸や茶道、書道などもこれに含まれ、全国各地において様々なものが存在している。身近なものでは盆踊りなどもこれに含まれる。こと伝統芸能というと日本固有の文化であると思われがちだが文化の先進国であった中国の影響を多分に受けているものが多い。
沖縄の伝統芸能といえば組 踊りが有名である。組踊りは1972年に国の重要無形文化財にも指定されており、文化の保存振興のため平成16年1月に浦添市に国立劇場おきなわも建設された。
組踊りは音楽、舞踊、せりふ、総合した音楽演劇である。1719年、第二尚氏王朝時代の琉球で躍奉行(芸能行事を司る役職)についていた玉城朝薫(1684年〜1734年)が中国からの冊封使を接待するために首里城で上演したのが初めとされている。
当時琉球国王の認証のために中国から訪れる冊封使の接待は重要な課題であった。玉城朝薫はかねてより造詣の深かった日本本土の「能」や「狂言」、「歌舞伎」などを参考に村々に伝わる芸能を融合させ独自の劇世界を形作った。
朝薫は冊封使の接待時に『二童敵討』『執心鐘入』『女物狂』『銘苅子』『孝行之巻』の5組の名作を作り上げ上演したがこの作品は「朝薫の5組」と呼ばれ、後世まで傑作として評されている。
『二童敵討』
勝連の城主「阿麻和利(あまわり)」はライバルであった護佐丸を倒し、首里の城に攻め入ろうと考えていた。阿麻和利はついには護佐丸を亡き者にしてしまう。一方難を逃れた護佐丸の子、鶴松と亀千代の兄弟は阿麻和利が野遊びに出かけるということを聞きつけ踊り子に化け阿麻和利一行に近づき、二人は踊りながらも一行に酒を勧め酔わせ、ついにはすきをみて仇討ちを果たす。
『執心鐘入』
美男子で有名な若松という少年が首里に奉公へ向かう途中、日が暮れて道に迷い、ある家に 一夜の宿を乞う。その家の女は始め断るが、相手が美少年の聞こえ高い若松だと知り、宿を貸すことに。女は若松に言い寄ろうとするが若松それを断り宿を出る。自尊心を傷つけられた女は激怒し若松の後を追いかけた。若松は近くの寺に助けを求め、鐘の中に隠れる。そこへ女がやってきて、執心のあまり鬼に化け寺の住職達と対決する。
『女物狂』
風車で遊んでいた少年はある日、人さらいの盗人にまんまとたぶらかされ、ついにはさらわれてしまう。人売りのため山原へ向かう途中、盗人と少年は寺へ宿を乞う。少年は盗人が眠っている所をコッソリ抜け出て寺の住職助けを求め、寺の住職と協力して首尾良く盗人を追い出すことに成功します。それからある日のこと寺へフラフラ入って来た女がいました。話を聞いてやれば、突然消えてしまった息子を探しているといいます。寺でかくまった少年を会わせると女は正気に戻り、無事親子の再会を果す。
『銘苅子』
ある日銘苅子という男が水浴びをしている天女を見つけ、その羽衣を盗み、天女を妻にします。一男一女をもうけるが、ある日天女は子どもの子守歌を聞から羽衣が隠されている場所を知ってしまう。天女は子ども達を寝かしつけると羽衣を身につけ天に帰ろうとするが、子ども達のことを思うと飛び立つことができない。しかし最後には断腸の思いで天に帰る。残された銘苅子たちは途方に暮れるがこの噂が王府に伝わり、最後は王府に父子とも取り立てられる。
『孝行之巻』
暴風雨や飢饉をもたらしている大蛇がいた。王府は大蛇を鎮めるため、生け贄になる子どもを求め、応じた者の家族は生涯、生活の保障をしようという高札を立てた。それを読んだ、父に先立たれ貧しい生活をおくっていた家の姉は二歳下の弟に生け贄の件を話し、母親に内緒で自分が犠牲になること決心します。姉が大蛇へ身を捧げようとした時、天から神が降りてきて大蛇を打ち砕いた。この孝行心に感心した王府は姉を王妃に、弟を王女の婿に迎えいれる。
その他、同時代に他の作家などに作られた『手水之緑』『万歳敵討』『大川敵討』なども名作として現在に伝えられている。
これまで多くの作品が創作されているがその中でも敵討ち物の作品が多い。これは当時、敵討は孝行ものとして賞賛されていた。これが演劇面に関しても大きな影響を与えたと考えられる。
朝薫の上演以来、組踊りは琉球の国劇として取り立てられ、冊封使の接待以外でも広く楽しまれた。その後士族などによって庶民にまで広められ現在も多くの人たちに親しまれている。